Magnet 9 「 For the next stage 」












9. 「For the next stage」 ― 新たなステージへ ― 



 ミッド・ノース『 Bruno Bianchi NY (ブルーノ・ビアンキ・ニューヨーク)』 8:20  p.m.


「Sorry ! I 'm late !(遅れてごめーん!)」
「遅いよラムカ」
「げ、何よそのドレス、素敵!」
「ホント? ステイシーに借りちゃった」
「まじ? 自分だけお洒落しちゃってずるい」
「でも爪塗ってくるの忘れた」
「もう間に合わないよ。残念でした」
「Mademoiselles(マドモアゼルがた) 、ご心配なさらずとも、お二方とも大変美しゅうございますよ。さあ、それではお車までご案内いたしましょう」

 ボルサリーノを外して胸にあて、ミシェルが軽くお辞儀をした。

「あら、そう仰る貴方が一番お洒落ですことよ、Monsieur Pinoteau(ムスィュー・ピノトー)」

「Merci bien ! (そりゃどうも)」――ベティの言葉ににんまりし、彼がふたりの背中に手を添え、車のほうへと導く。
 店の外で待機していた車を見てラムカがOh my god ! と声を上げた。小型ではあるが、そこに立派な黒いリムジンが停まっていたからだ。

「リモに乗ってくの!?」
「そのようだね」
「Thank you , mister !」

 美しく着飾ったマドモアゼルたちが、運転手にとびきりの笑顔を捧げてリムジンに乗り込む。
 郊外にあるクリフォード家の別荘へ向けて出発だ。

「本当にカジュアルなパーティーなの?」
「さあ。お友達も誘ってお気軽に、なんて言うくらいだからそうなんでしょ」
「お迎えの車寄越してくれるだけでも驚きなのに、それがリモなんて!」
「もっと胸の開いた服にすればよかったかな」
「充分だよ、ベティ」――ミシェルとラムカが声を揃えた。

 初めて乗ったリムジンの中ではしゃぐラムカとベティに呆れながら、ミシェルも帽子を手でくるくると廻して遊んでいる。
 マンハッタンでパーティー、なんてしょっちゅうあることだけど、郊外でのそれにこのメンバーで出掛けるなんて多分初めてのことだ。少しずつマンハッタンと日常とが遠ざかっていくのに比例して胸が高まる。




 ミッド・ノースから40分も走っただろうか。閑静な住宅街を走り抜け、ほどなくして車は木々の中に隠れているような大きな鉄格子の門をくぐった。
 美しくライトアップされた噴水をぐるり、と廻りこむようにして、漸く屋敷の前に到着だ。周りには高級車が溢れかえっていて、家の中からは音楽が低く流れている。
 ミシェルは車を降りたあと、ぽかん、とした顔で立ち尽くすラムカとベティの背中を再びそっと押した。

「ミシェル!」
「Hi ! キャサリン! お招きありがとう」

 玄関に入ると直ぐにキャサリンがミシェルに気付き、3人を出迎える。

「キャース!」
「今行くわ!――バタバタしててごめんなさい、またあとで。ゆっくり楽しんで行ってね、お友達も」
「ありがとう」
「紹介する間もなかったね」
「うわ、凄いお屋敷……」
「見て、あのランプ!ガレ*だよ」
「あっちにも!あの花瓶も!」

 いかにもアッパー・イーストの住人らしい連中ばかりで埋め尽くされているのは覚悟して来たのだが、どちらかと言うとソーホーやチェルシーのギャラリー界隈で見かけるような、或いは、ひと目でファッション業界関係者と判るような、つまり、ハイセンスな「業界人」っぽい連中が大半を占めている印象だった。それに混ざって、いかにもウォール街で成功していそうな男たちもいる。女性連れも多く、明らかに夫婦と判る連中もいれば、いかにもモデルといった感じの女性を連れた男たちもいる。
 つまり、どのみち、ラムカにとっては何の接点も見つからないような連中ばかりだ。ただひとつだけ、考え得る例外もあったが。
 どうかこの中にセント・ジョンの父兄がいませんように。そう祈りながら、とりあえずバーテンのトレイから適当にカクテルを選んで、ベティとミシェルとこの夜に乾杯した。



 取りあえず空腹で目が回りそうな3人は、並べられた豪華な料理を楽しみながら「業界人ウォッチング」に興じることにした。
 そのうちにミス・ベネットがやってきて、ベティとミシェルの働く『Bruno Bianchi NY』(ブルーノ・ビアンキ・ニューヨーク)が先日のパーティーで大きな話題に上ったことを告げた。
 キャサリンが偶然、その広告塔になったことが大きかったが、確かにあれから二週間の間にミシェルを指名する新客ばかりか、ベティの新客までも増えつつある。

 考えてみれば、ふたりはその「業界」に属すべき側の人間だ。有名でない、ただそれだけの理由で、まだ『あちら側』に属していないだけのこと。もちろん、大切な仲間であり有望な『アーティスト』でもある彼らの成功を心から願っているし、ミス・ベネットの報告は彼女にとっても喜ばしいものだったけれど、ラムカは自分ひとりだけが全く場違いな場所にぽつん、と立っているような気がして、何となく居心地の悪さを感じていた。
 それでも、「違う世界の住人」に囲まれるのはやはり刺激的だ。折角、上手くいかない職探しに溜め息ばかりの毎日の憂さを晴らしにやって来たのだから、うんと楽しまなくちゃ!―― そう思い直すことにした。
 そのうちにミシェルが違う飲み物を取りに行く、と言って彼女たちの傍を離れ、バーカウンターのある場所へと向った。

 ミシェルが通路へ出ると、そこに体の大きいアフリカ系の男が通路を塞ぐように立っている。男の横を通り過ぎる際に目が合ったので、彼は軽く笑みを向けた。

「Hi 」
「Oh my God ! 」
「!!」

 突然そう叫び、男はミシェルのシャツに手を伸ばして更なる奇声を上げた。

「んまあ! なんて可愛い子なの!」
「ど、どうも……」
「ちょっと待って! 以前にもこんなふうに絶妙なピンクのドレスシャツを着こなす可愛い子がいたわね……そう、あれは97年! アポロ*で観たマクスウェルよ! Like this !」

 指をぱちんぱちん鳴らしながらミシェルに体を摺り寄せて、そのマクスウェルの曲を歌い踊るハイテンションな彼に固まっていると、「Excuse us , Barnie ! 」とキャサリンがミシェルの腕を引っ張った。

「あんもう! キャース! あたしの可愛いマクスウェルをどこ連れて行く気!?」
「Sorry !  He's my boy ! 」

 何よっ、旦那がいるくせにっ!とか何とか彼の悪態が追いかけて来たが、キャサリンはげらげら笑いながら彼にひらひらと手を振った。

「助かったよ、ありがとう」
「そう? ふふっ。彼、あれで実はとっても凄い人なのよ。でもそのキュートなお尻は隠しといたほうが無難かも」

 それより紹介したい人達がいるの!――そう言ってキャサリンがミシェルの手を引いて、とあるグループの輪に割って入った。

「Hi , guys !  楽しんでる?」
「Hi , キャス」
「例の彼を連れてきたわ。ミシェルよ。ミシェル、こちらジュリアン・ローレンスよ」
「Oh !  まさか、あのジュリアン・ローレンス!?」
「そうだと思うよ」
「ああ! お会い出来るなんてとても光栄です」

 彼女が口にしたのはあろうことか、高名なファッション・フォトグラファーの名前だった。
 あなたの写真集は全て持っているんですよ! 眼鏡をかけていらっしゃるから気付かなかった――握手を交わした後、ミシェルが胸に手を当てて、信じられない、というふうに首を振った。

「イアン」
「ステファニー」
「アルヴィン」
「よろしく、ミシェル・ピノトーです」

 ジュリアンを始め、その場に居合わせた彼ら全員と握手を交わし、ミシェルは、一体……?と不思議そうな顔をキャサリンに向けた。

「君が彼女をバルドーに仕立て上げた張本人だね」

 イアンと名乗った男がそう言ってグラスを口に運んだ。

「イアンはね、『Avec』でエディターをしているの。ステファニーは 『Avec』でも活躍してるスタイリストのダイアン・ウィードのアシスタントを、アルヴィンは――」
「電話番」

 笑いが起こり、キャサリンがカモン、アルヴィン!と彼の背中を軽く叩く。

「彼はモデル・エージェンシーの副社長をしていて、キャスティング・ディレクターも兼ねているの。キヤナ・ミナーリを見出したのも実は彼なのよ」
「本当に? 彼女とても個性的で注目してるんですよ」
「君もやってみる気はない? モデルでも成功すると思うよ」
「Um……実は時々スカウトされるんだけど、裏方の仕事の方が好きなんです。クリエイティビティ(創造性)のある仕事がしたくて」
「我々全員がそうさ」




 盛り上がっているミシェルのほうをちら、と見やり、ベティがはあ、と息を吐いてカクテルの中のチェリーを口に放り入れた。

「つまんない。スノッブ*ばっかでさ。いい男はみんなゲイだし、そうじゃない男は夫婦連れか、オツム空っぽのモデル連れたカスばっか」
「ちょっと! 声大きい」
「あーあ。同じサロンで働いてるのに。そりゃネイリストになんか用はないですよね、そうですよね」
「私よりはずーっと需要あるじゃない! 現に新客、増えたんでしょう? ほら、あそこの奥様方にでも名前売りこんでみればいいじゃない。それに比べて私なんて全く縁のない世界でさ、ひとり浮いてるよ?」
「何言ってんの、こんだけ金持ち連中が揃ってるのよ? 子守の依頼あるかもしんないじゃん。元セント・ジョン幼稚園の先生でーす、って宣伝しときゃ――」
「――Oh my God !  それ本当?」
「?」

 声に振り返ると、たまたま通りかかったミス・ベネットだった。

「Hi !  ティナ」
「ベティ、彼女が幼稚園の先生って本当?」
「Yes , she was」
「あー……辞めちゃったんだけど」
「今ほかにお仕事は?」
「いいえ、まだ何も」
「ちょっと待ってて!」
「?」

 ほら、言ったじゃない! そんなふうに両手を広げてベティが目を丸くした。
 そっかベティ! そんな考えもあったのよね! 今度はラムカが目を丸くする番だった。その路線は今の今まで、彼女の頭からすっぽりと抜け落ちていた。
 もう、早く言ってよベティ! だってあたしも今、思いついたんだもん―― そんなことを言ってる間に、ミス・ベネットがキャサリンを連れて彼女達のほうへ戻って来た。

「Hi , ミシェルのお友達ね?」
「ベティです。こっちは……」
「シェリルです、よろしく」
「 " ベティ " に " シェリー " ? ティナ、あの子の言ったこと本当だったわ」
「?」
「ああ、気にしないで。それよりシェリー、元幼稚園教諭って本当?」
「ええ、セント・ジョン幼稚園にいました」
「本当? うちの息子も最初はそこに通わせるつもりだったの。結局は近くのセント・ニコラの方になったけど」
「Wow !  名門ですね」
「それで、今は何をなさってるの?」
「いえ、何も……」
「良かった! 突然こんなお願いをしてお困りかもしれないけど、よかったらうちの子のナニー(子守)*になっていただけない?」
「Oh……」
「前任者が辞めてからなかなか良い人が見つからなくて、本当に困っているの。元先生なら家庭教師までお願い出来るし。どうか助けて、シェリー」
「それはあの……私としてもとてもありがたいお申し出ですけど…」
「じゃあ早速明日か明後日にでも、簡単な面接をさせてもらっても?」
「?」
「面接と言ってもただの形式的なものよ。一緒にお昼を食べましょう、シェリー」

 詳しくは彼女から連絡させるわ―― そう言ってミス・ベネットを残し、キャサリンがその場を去った。


 その後、女性ゲスト陣に紹介するためにミス・ベネットがベティを連れ出した。残されたラムカは、面接とやらに何を着て行こうか考えを巡らせたが、その前に帰ったら簡単な履歴書を作成しなきゃ、と思い立ち、そこで解雇された理由を正直に書くべき?と頭を悩ませた。
 彼女、キャサリンはアッパー・イーストの住人にしては随分と気さくそうな女性だし、正直に答えても大丈夫そうな気はするんだけど。
 そんなことを考えていると、ミシェルの笑顔が視界に入った。今夜の彼はとても幸せそうに見える。良かった。彼はここのところ、ずっと元気がなかったから。
 彼は「こちら側」にいるべき人間ではない。ラムカは常々そう思っていた。彼が今夜をきっかけにして、成功への扉の鍵を手に出来るといいんだけど。もちろん、ベティも。そうなったら本当に嬉しい。
 わたしたち、今日という日を境に何かが変わり始めようとしているのかも――― そんな予感めいたものが彼女の中に生まれ、その思いつきは彼女をわくわくとさせた。

 でもそれが一体何なのか、ってことまでは想像さえもつかなかったけど。