Magnet 43 「 Champiñones a la plancha 」












43. 「Champiñones a la plancha」 ― マッシュルームはお熱いうちに ― 





 グリニッチ・ヴィレッジ 7:20 p.m.


 ザクザクと野菜を切る、耳に心地よい音。それをかき消すように響く、人工的なカメラのシャッター音。手を休めることなく、男が呆れたような一瞥だけをくれる。

「Hey , 料理ならともかく、何で俺を撮るんだよ」
「Why not ? 目の前でホットなイタリア男が料理してるんだよ? 撮らずにいられる? しかも彼は僕だけのお抱えシェフなんだ。ああ、世界中に自慢したい気分」
「まったく……」

 皿洗いから異例の速さで昇格させてやったサラダ係としての職務をあっさり放棄し、ミシェルは料理中のミゲルの写真を撮ったり、ミゲルにじゃれついて一緒にセルフィーを撮ったりと、邪魔をしてばかりだ。
 そんなミシェルに呆れながらも、ミゲルは後ろから抱き付くミシェルの口に何か食べるものを運んだり、ワインを飲ませたり、挙句『君の唇のほうが食べたい』などと我儘を言い出す彼に望み通り唇を与えたりして、ミシェルを甘やかすことを素直に自分に許している。
 ハンプトンズで抱き合い、ミシェルとの関係に迷いはない、そうミゲルが宣言した瞬間から、確実にそれまでとは違う『熱』が彼らを包み込んでいる。
 今のミシェルには、揺るぎない自信のようなものが生まれつつあった。『彼の恋人』というアイデンティティを手に入れた。その自覚だ。

「Oh , jeez !」
「うん?」

 スパイスラックから小さい瓶を手にしたミゲルが声を上げた。どうやら必要なスパイスを切らしてしまっていたようだった。
 すぐに、サフランを買いに行って来る、と男が言い出した。どうしても必要なものらしい。

「僕も行くよ」
「No no no , 俺が買いに行ってる間にサラダを仕上げといてくれ。すぐに戻る」
「やだよ! 君が途中で誰かに誘惑とか誘拐されたらどうするの!」

 ミシェルの突拍子もない言葉に『ばかだな』と笑い、彼の唇に軽い口付けを残して男は部屋を出て行った。
 『誰かに誘拐される』だなんて、いつかベティが言ってたのと同じだよ――彼はベティの言葉を思い出してクスリ、と笑った。


 ミゲルの言い付け通りサラダを仕上げなくては……などという殊勝な考えが今の浮かれた彼にあるはずもなく、早速iPhoneを取り出して、さっき撮った写真のチェックを始める。
 はっきりと顔が映っていなければSNSに投稿してもいい、とミゲルが許可してくれたので、目から上だけが写っている写真を選び、色んなフィルターを試して、結局フィルター無しでそれをInstagramに載せた。そのままのほうが、彼の瞳が美しく見えたから。
 投稿してすぐにフォロワーからハートマークが付けられたので見てみると、ベティからのコメントがもう届いている。
 『Go to hell , hot Angels ♥』の文字と泣き笑いの絵文字だ。
 ベティからの反応に声を上げて笑い、ついでにベティや他の友人たちの投稿をざっとチェックして、ようやく彼はミゲルの言い付け通りにサラダを仕上げるべく、水に浸していた野菜をサラダスピナーに移し、水切りの作業を始めた。
 お腹が空いたので、黒いオリーヴの実をいくつか口に放り入れる。それをワインで流し込み、何か音楽を流そうと再びiPhoneを手にした時、部屋のブザーが鳴った。
 ミゲルがスパイスを買いに行ったはずの店は、ざっと見積もっても往復20分近くはかかる。彼が出かけてから、まだ10分程しか経っていないはずだ。
 そもそもミゲルはきちんと鍵を持って出たはずなのだから、彼がブザーを鳴らすはずはない。一体誰だろう。そう思いながら、家主の代わりにドアを開けた。

「!」
「Oh」

 ドアの前に立っていたのは、ミゲルの母親のナディアだった。まさかミシェルが出てくるとは思わなかったのだろう、ナディアはびっくりしたように、ほんの少し後ずさった。

「こんばんは、マダム。えっと、彼ならいま買い物に出かけてて。すぐに戻ると思いますけど」
「そう……」
「あの、どうぞ、中に」
「でも……お邪魔になるから」
「とんでもない! さあ、どうぞ」
「……ありがとう」

 ミシェルの横を通り過ぎ、ナディアは部屋の奥へと進んだ。

「何かお飲みになりませんか?」
「Oh , どうぞお構いなく」
「No no no , 美味しいワインをさっき開けたんです――あ、お酒大丈夫ですよね?」
「ええ。じゃあ……それを頂こうかしら。ありがとう」

 ミシェルはキャビネットからワイングラスを取り出すと、ダイニングチェアに腰を下ろしたナディアの前にそれを置き、ワインボトルをそっと傾けて緋色の液体を注いだ。

「リオハ産カベルネ・ソーヴィ二ヨン*グラン・レゼルヴァ*です。当たり年のものらしいですよ」
「それは楽しみね。ありがとう」

 グラスを持ち上げてワインの香りを嗅ぎ、ナディアは思い出したようにミシェルの顔を見上げた。

「あなたのグラスは? 持っていらっしゃい」
「Oh」

 ミシェルはシンクの横に置いてあった飲みかけのグラスを手に、再びナディアの横に立った。

「Cheers」

 グラスをぶつけるのではなく、互いに持ち上げるようにして軽く乾杯を交わす。ひと口飲んだナディアが、まあ美味しい、と相好を崩した。

「Oh , 先日は自己紹介も出来ずにいてすみません、マダム。ミシェルです」
「ナディアで結構よ」

 そう言いながら、彼女は差し出されたミシェルの手に応えた。
 彼女は、ふっくらとした、いかにも母親らしさを感じさせる手をしていた。彼女の手の柔らかさと温もりは、彼自身の母親の手の感触とは全く異質なものに感じる。
 それはつまり、彼が子供の頃に憧れた種類の温もりを持つ手だった。子供時代なら、ミゲルが羨ましいと純粋に思っただろう。
 だからこそ、この目の前の母親とミゲルの関係をぎくしゃくとさせた要因に自分も絡んでいる、と自覚するのはやはり胸が痛い。


 そうだ、と思い出したようにミシェルは再びキッチンの方へ行くと、チーズか何か、ワインと一緒につまむものはないかと冷蔵庫を開けた。
 手元のワイングラスを何度か口に運び、ナディアが興味深そうな眼差しをミシェルへと向ける。彼はブツブツ独り言を言いながら、冷蔵庫のものを出したり引っ込めたり、焦ったようにあれこれ漁っては、どうしたものかと頭を掻いている。
 そんなミシェルにぷっと吹き出すような笑みを零し、彼女は立ち上がってキッチンのほうへ行くと、食材や器具などをきょろきょろと見回した。

「マッシュルームはこんなに要らないわよね? 使っても?」

 ええ、多分、とミシェルが答え終わらないうちから、ナディアは手を洗うと、マッシュルームの軸を取り、ニンニクやパセリやらを細かく刻み始めた。

「そこのドライトマトの瓶を取って下さる?――ありがとう」

 イタリア料理をご披露出来ないのは残念ね――そう言いながら手馴れた様子で野菜を細かく刻むナディアの横に立ち、ミシェルは彼女の手仕事を眺め始めた。

「へえ、それイタリアの料理じゃないんですね」
「そう、これはスペインのチャンピニョーネス・ア・ラ・プランチャ*という料理ね。どうやら今日のコンセプトはスペインらしいから」
「ああそれ、僕のリクエストなんです」
「そうなの」
「ええ。チェルシー・マーケットのスペイン料理店へ行きたいって言ったら、彼が『あれはスペイン料理とは呼べない、絶対に認めない』って言うんで、じゃあ本物を食べさせてよ、って話になって」
「Oh」

 その話を聞いたナディアが、一瞬何かを思い出すように手を止めて軽く笑った。

「父親そっくりね。あの人も『この国にはまともなタパスを出す店はないのか』っていつも言ってた」
「それ! ミゲルも同じようなこと言ってました」
「まあ」

 先日、クリフォード家で会った時のような固い表情だった彼女の顔が、次第に和らいだ柔らかなものに変化したのを感じる。
 ナディアのその表情を見て、ミシェルは少し気が楽になったように感じ、内心でほっと息を吐いた。本当のところはわからないが、そう嫌われてもいないかも。そう思えたからだ。
 調子に乗った彼は、彼女に質問をぶつけてみることにした。

「彼はどんな子供だったんですか?」
「そうねえ……うんと小さい頃はとても大人しくて、ちょっと恥ずかしがり屋さんだったかしらね」
「! そうなんだ」
「とにかく絵を描くのが大好きで、手もほっぺたもいつもクレヨンだらけ。おばあちゃん子でね、とても優しい子だった……だけど父親と離れてしまってからは、ずいぶんと強くなったように思うわよ」
「ふうん……」
「――カスエラ*はあるのかしら」
「カスエラ?」
「小さめの耐熱皿でもいいんだけど。少し深さのあるものなら」
「えーっと、どうだったかな……」

 食器を仕舞ってある扉をパタパタと開け閉めして、ナディアと一緒になって彼女の要望通りの皿を探しているところへミゲルが帰宅した。
 何してるんだよ!?と驚いて瞳を丸くするミゲルを見て、ミシェルとナディアは顔を見合わせてクスリ、と笑った。







「――ちょっと水分が多かったかな」
「そんなことない。すごく美味しい」

 ミゲル渾身のパエリアをぱくぱくと口に運び、ミシェルは次にナディアの作ったマッシュルームのプランチャに、『ふー、ふー』と数回息を吹きかけた。

「熱いけどひと口で食べるのよ。中身をこぼさないようにね」
「あち!――Oh my God ! 何これ! 美味しい!」

 ひと口食べるごとに『美味しい!』と大騒ぎするミシェルにくすりと笑い、ミゲルは手を伸ばして、ミシェルの口の横についた米粒だか何かの小さな欠片を指先で拭ってやった。そんなミゲルに、ありがとう、とミシェルが甘い笑みを返す。
 そんな2人を窺うように見て、おやまあ、という顔でナディアがワインを口に運んだ。

「ほんと、すごく美味しいじゃない。あんたが父親以上に美味しいパエリアを作れるとは知らなかったわ」
「Oh guau ! Gracias mamá ! (Oh wow ! Thank you Mom)」

 褒められた照れ隠しだろうか、ミゲルが胸に手を当てて、スペイン語でわざと大げさな感じに礼を言ったので、笑いが起こった。

「本当に何年振りかしらね、一緒にスペイン料理を食べるのなんて」
「そうだね」
「そう言えば、ラウルから連絡は?」
「いや。相変わらず音信不通」
「ラファエルからは?」
「No」
「そう……本当に困った人たちね」
「ああ、そう言えば、少し前にセシリアから連絡があったのを忘れてた。マヌエラ叔母さんたち、マラガ郊外に引っ越すらしい。スペイン語で話すのは久しぶりだったから、イタリア語とごちゃ混ぜになったよ」
「元気にしてた? マヌエラとも話したの?」
「ああ、相変わらず話が長くて大変だったよ」

 ミゲルの父方の身内の話なのだろう。彼ら母子は、ミシェルの知らない人間の話をしばらく続けたが、それは知らないミゲルを知ることが出来る瞬間でもある。彼にとってそれは大変に嬉しいことでもあるので、黙ってパエリアの海老と格闘しながら、彼らの話に耳を傾けた。
 話を聞いていていくつか知ったことがある。ミゲルの父親はラウルという名前で、スペインのマラガという都市の出身だということ、ミゲルにピアノやギターや絵などの芸術関連を教えたのは、その父親だということ。
 そして、ミゲルに兄がいることは彼から聞いていたが、どうやらその兄、ラファエルとは母親違いの兄弟らしい、ということなどだ。
 2本目のワインが空く頃には3人ともすっかり上機嫌で、笑い声が絶えることはなかった。
 思いもよらない母親の訪れがもたらした驚きは、いつしか楽しい時間へと変わっていったのだった。





「突然お邪魔をしてしまってごめんなさいね」――帰り際、ナディアはそう言ってミシェルに笑みを向けた。
「僕のほうこそお邪魔になってすみません。でも話せて嬉しかったです、マダム」
「また! ナディアと呼んでったら。マダムだなんて体中がこそばゆくなっちゃうわよ」
「はは……わかりました。じゃあ……お気をつけて、ナディア。おやすみなさい」

 そこまで送ってくる、と言うミゲルとナディアの姿が見えなくなるまで見送り、ミシェルは静かにドアを閉めた。




「今夜は久しぶりに冷えるわね。そんな薄着で寒くないの?」
「部屋がちょっと暑かったから、ちょうどいいよ」

 彼らは大通りまでの道のりをゆっくりと並んで歩いている。息子は、上機嫌にイタリア語で何か歌い始めた母親を見下ろし、クスリと笑った。

「……一体どういう心境の変化?」
「何が?」
「この間は不快そうな顔してたのに。そう思ってさ」
「あんたと彼のこと?」
「そう」
「さあ……どうしてかしらね」

 ナディアは首に巻いていたストールを外し、彼の首にそれを巻いた。薄着の息子を心配してのことだろう。

「彼、いい子ね。それに、とってもキュート!」
「はは……まあね」
「彼はあんたに心底夢中で、あんたはそんな彼のことが可愛くて仕方がない、そんなところじゃない?」
「……マム」

 ミゲルは歩みを止め、母親の瞳を覗き込んだ。意外な言葉に驚いたのだ。認めてくれたということなのか、それとも単なる冗談のつもりなのか、真意を問い質すような瞳だった。それに対し母親のナディアは、息を吐いてゆっくりと首を横に振った。

「正直言って、まだ戸惑ってるの。彼のことは大好きよ。とてもいい子だし、あんたのことを心から思ってくれてるのが伝わってくるもの。あんたも大人なんだし、母親がどうこう言うべきじゃない、理解するべきだって頭では解ってるの。だけど……」
「……彼が男じゃなければよかった?」
「……息子がゲイかもしれない、でも連れてくる恋人はいつも綺麗な女の子ばかり。あら、気のせいだったのね、そう思ってたら、やっぱりゲイだった……」

 そこまで言うと、彼女は再びゆっくりと首を横に振った。

「悪いけど、『あらそうなの、わかったわ』だなんて、そんな簡単には受け入れられないのよ。私とラウルは上手くいかなかったけど、あんたには幸せな結婚をして幸せな家庭を築いて欲しい、ずっとそう願ってきたし、そう言い続けてきたんだもの。何も好んで茨の道を歩まなくても――」
「――Ma」

 母親の言葉を遮り、ミゲルは彼女の肩に手を置いた。

「ゲイだとか何だとか、そんなのは関係ないよ。俺はただ、人を好きになっただけだよ。俺にとっては『それ』が彼だったから。彼と出会ったから。ただそれだけなんだ」
「……Amore*
「確かに、茨の道かもしれない。マムの望むような結婚も将来像も、たぶん無理だろうし、それは心から申し訳なく思ってる。本当にごめん。だけど……」

 それでも彼と一緒にいたい、そう決めたから――強い意志を浮かべた息子の瞳の色。想像していた以上に、ミシェルへの気持ちは真剣なものなのだ。そう覚った。
 彼女は再び息を吐いて、肩に置かれた息子の手に触れた。

「Toto , amore mio* , 少し時間をちょうだい。今すぐには、まだ……」
「Yeah……yeah , 解ってる。もちろんだよ」

 Grazie , Ma (ありがとう、マム)――母親を抱きしめて、そっと背中をさする。母親の手が、お返しのように息子の背中をぽんぽん、と軽く叩いた。
 ミゲルは首からストールを外し、母親の首にそれを巻き直した。それを合図のようにして、彼らは再びゆっくりと歩き始めた。

「そういや、何か話があって来たんだろ? 今の話がそれ?」

 思い出したようにそう言う息子に、彼女は溜息を吐いた。

「もちろんそれもあるけど、旦那様のことを話したかったのよ」
「フィル?」
「知ってるんでしょ? 旦那様の浮気のこと」
「……Oh」
「奥様がとても苦しんでらっしゃるの。見ていられなくて」
「彼女、知ってるのか」
「当然でしょ、妻なんだから」
「……もう相手の女とは終わってるよ。ただ……」
「ただ?」
「ちょっとばかし厄介そうな相手でね」
「!」
「まあ、一応警戒してるし、いくら何でも犯罪行為とか訴訟沙汰になるような嫌がらせはしてこないだろう」
「そうね……そうだといいけど」
「うん」
「いい? 旦那様を助けて、しっかりとお守りするのよ。私たちがクリフォード家からどれだけご恩を受けたか。分かってると思うけど」
「分かってる。心配いらないよ、Ma」


 角を曲がり、大通りへ出たところですぐに捕まえたキャブが、彼らの目の前に停まる。
 再び抱き合い、頬にキスをして、ナディアはキャブのバックシートに身を沈めた。

「彼によろしく伝えて。会えて嬉しかったって」
「ああ。伝えるよ」

 走り出したキャブが、やがて小さくなり、彼の視界から消え去った。それでも彼はしばらくの間、母親の残影を見送るように、車の消え去った方角を見つめ続けた。
 そしてゆっくりと踵を返し、部屋までの道のりを戻り始めた。心なしか、足取りは軽かった。
 『彼のことが可愛くて仕方がない』――そして唐突に、母親の言葉を思い出し、誰が見ているわけでもないのに、顔を隠すように下を向いた。今ごろになってその言葉に照れたのだ。


 しばらく行くと、彼の住むアパートメントが見えて来て、エントランス下の階段にミシェルが座っているのに気付く。
 ミシェルは瞳を閉じ、イヤフォンで音楽を聴きながら体を揺らしたり、ドラムを叩く真似をしたりして、ノリノリで曲を口ずさんでいる。
 見ていて面白いので、くすくす笑いながら、立ち止まってしばらくその様子を眺める。しばらくして、ようやくミシェルが彼に気付き、片手を上げた。
 そのままミシェルの横に腰を下ろす。ミシェルは持っていたミゲルの上着を彼の肩にかけ、笑みを向けた。薄着のまま出て行ったミゲルを心配して、ここで待っていたらしい。

「何を聴いてたんだ?」
「聴く?」

 ミシェルが左耳からイヤフォンを外して、ミゲルにそれを手渡した。



  Together we can make this journey
  Together we can make this journey

  Alright , it’s gonna be alright
  Alright , it’s gonna be alright


「――Zapp*(ザップ) ?」
「Yeeess!」

 しばらく曲を聴きながら体を揺らすことを続けたあと、ミシェルがこちらへと笑顔を向けた。

「ねえ、君のマムのことが大好きになっちゃった。また会いたいな」
「そうか? 母も君のことが好きだって言ってた。会えて嬉しかったってさ」
「本当に!?」
「ああ」

 ああ! 嫌われなくて良かった!――そう言って、ミシェルは嬉しそうに天を仰いだ。

「あ。それじゃ、もしかして僕たちのこと……?」
「いや……それはもうちょっと先かな」
「そっか……」

 ミシェルは少しだけ気落ちしたように息を吐いたが、すぐに気を取り直したように笑みを浮かべた。

「それでもさ、一歩前進したよね? 僕たち」

 We’re gonna be alright ! ――今さっき聴いた曲の一節を引用して笑った後、ミシェルはもう一度空を見上げた。

「……ねえ」
「ん?」
「素敵な夜だね」
「……Yeah」


 短く、けれども心からの思いを込めた声が、静かに返される。
 その声に振り返ったミシェルが、まつ毛を上下に揺らした。それは、ミゲルの唇に視線を落としたから。
 ミゲルのまつ毛も、同じように揺れた。彼の場合は、ミシェルの唇を盗みにいったから。
 甘く濡れた音が、幾度も重なる。ゆっくりと唇を離すと、熱に潤んだ琥珀色の瞳が、切なそうにミゲルを見上げた。

「――少し歩こうか」
「え?」
「ちょっと食べすぎた」
「え! え! 嘘でしょちょっと待ってよ!」
「早く来ないと置いてくぞ」
「待ってったら!」

 歩こうと言ったくせに、ミゲルは走って行ってしまった。
 もう! せっかくロマンティックだったのにー!――そう言いながら、慌ててミシェルが追いかける。
 げらげらと笑いながら先を行くミゲルに、やっと追いついたミシェルから『ひどいよ!』と抗議の声が上がった。
 子供がじゃれ合うようにふざけ合い、くっ付いたり離れたりしながら、次第に彼らは歩幅を合わせ、夜の街の片隅に消えて行った。