Magnet 22 「 Fighting on friday 」












22. 「Fighting on friday」 ― 決戦は金曜日 ― 







ミッドタウン  9:20 p.m.

いよいよラッセルとのブラインド・デートを迎えた金曜日。
ラムカとミシェルのふたりはベティを送り出した後、バーに移動して共にグラスを傾けていた。
ふたりで酒を飲むのは久し振りのことだ。
「しかし初デート前にあんなにいっぱい、よく食べれるよね」
「彼女、肉食だからね」
「ぷぷっ!」
居なくなったベティを餌にしてげらげら笑い合う。
彼女たちの前で彼は、いつもと変わらない様子を醸し出しているつもりなのだろうけれど、ラムカは彼が食事中から時折ぼんやりしたり、反対に落ち着かない様子できょろきょろするのに目敏く気付いていた。
まるで誰かを探しているようだったからだ。
「誰を探してるの?」
「うん?」
「さっきからずっときょろきょろしてる」
「そう?」
ラムカは、ふっと笑ってグラスを唇に運ぶミシェルの横顔をちら、と盗み見た。
「ここのところ、何だか妙に色っぽいのよね」
「誰が」
「私の大天使様が」
「僕?」
ミシェルが肩をすくめて怪訝な顔をラムカに向けた。
「絶対秘密の恋してる。いい加減白状しなさい」
「何でそうなるのさ。馬鹿馬鹿しい」
ミシェルがこんなつれない返事を返す時は、篭絡するのは難しい。しょうがない。また今度にするか。
「君こそ彼とどうなってるの」
「彼?」
「パレスの料理人」
「何でそうなるわけ?」
「Come On , Lamka ! いい加減素直になろうよ」
ミシェルの反撃に遭い、ラムカはAh ! と息を吐いて天井を見上げた。
「ベティもあんたもしつこいなあ。彼とは何でもないったら」
「ねえ、ラムカ。ハンサムな男に惹かれたからって、後ろめたく感じる必要はないんだよ?」
「どういう意味?」
「君のその 『ハンサム・アレルギー』 にも困ったもんだ、って言ってるのさ」
「 『ハンサム・アレルギー』 ?」
「そう。自覚、あるでしょ?」
ミシェルが眉をくい、と上げた。
「いくら人格が素晴らしくても、その彼がハンサムな男だと、それだけで彼の全てを否定しようとする」
「!」
「もしもショーンがあそこまでグッド・ルッキング・ガイじゃなかったら、きっととっくに恋に落ちてる。違う?」
むむむ!
ミシェルにそう言われて答えに詰まり、ラムかはぷう、と頬を膨らませた。
「何か今日、意地悪じゃない?」
「そんなことないでしょ」
「そうかなあ」
「ねえ、彼に惹かれてるっていい加減認めたらどうなの」
「Ok , あんたが秘密の恋を白状したらね」
「Yeah ! バーで出会った男と寝たよ。これでいい?」
「ぶっ!」
突然のミシェルのやけっぱちな告白に、ラムカはカクテルを噴き出しそうになった。
「ちょっと!びっくりするじゃない!」
してやったり、という顔でミシェルがにやり、と笑う。
「白状したよ?今度は君が白状する番」
「God ! やっぱり今日のあんた、すんごく意地悪」
「……」
「?」
冗談でそう言ったのに、ミシェルが思いつめたような顔で俯いてしまい、彼女は慌てて彼の顔を覗き込んだ。
「ねえ、今日本当におかしいよ?ミシェル。一体どうしたの?」
「……確かに意地悪だよね。ごめん」
「?」
「……会いたい人がいるんだ」
「!」
「彼のことばかり考えてる。会いたくて会いたくて……でも勇気が出なくて……それでここのとこ、苛々してた」
「さっき言ってた人?」
「……うん」
「Oh , honey 」
ラムカがミシェルの肩を引き寄せて、そっと腕をさする。
「そんなに辛い思いしてたのね。茶化してごめん」
「……ううん」
「私に出来ることは?」
「あー……まだベティには黙っててくれる?」
「どうして?」
「彼女も今それどころじゃないし……ラッセルと上手くいって欲しいから、今は心配かけたくない」
「解った」
「君にも言うつもりなかったんだよ?それなのに」
してやられたよ――そう言ってミシェルが肩をすくめて苦笑した。
「それはね、意地悪言うからよ」
「ふふ」
ばつが悪そうに笑うミシェルの顔を見て、彼女は大好きな彼のえくぼにキスをした。
「うーん……どうしよう。可愛くて食べちゃいたい、このえくぼ」
「はー。いつもそうやって君たちは僕をおもちゃにする」
「ふふ」
彼の頬についたグロスを拭い、ラムカが何かを思いついたように瞳を見開いた。
「一緒に行ってあげる」
「Wha ?」
「その彼のところ。行こう!」
「Oh ! Wait wait wait !」
立ち上がってミシェルの腕を引っ張ろうとするラムカを引き止め、彼は彼女をカウンター・スツールにもう一度座らせた。
「いきなり何言い出すかと思ったら」
「ひとりで会いに行く勇気が出ないんでしょ?だから一緒に行こうって言ってるの」
「……」
「ねえミシェル、こんなところで私相手にうだうだしてたって彼には会えないよ?」
「そりゃそうだけど……」
「あんたはね、ごちゃごちゃと色々なことを考えすぎなの!会いたいなら会いに行く!ほら!」
「金曜の夜だし、きっと居ないよ」
「いいから!」
ラムカに手を引っ張られ、彼は渋々カウンター・スツールから立ち上がった。



キャブを拾い、行く先を告げて、流れていく街の景色をラムカと共に見送る。
まるで冒険にでも向うみたいに瞳を輝かせる彼女に苦笑した。
一見するとベティのほうが強引そうだけれど、案外ベティも彼と同じように弱腰な部分を持っている。
何か問題が起きた時、芯が強いな、と思えるのは、実はラムカのほうなのだ。時折こうやって弱気な彼の尻を引っ叩いては勇気をくれる。
全く……自分のこととなると、ちっとも素直じゃないくせに。
「―――彼女をブルックリンのプロスペクト・ハイツまでお願い」
「!?」
「じゃあ、ラムカ」
「ちょ、ま、ミシェル!」
彼女の膝の上に多めに金を置いて、ついでにキャブの中に彼女も置いて、彼はひとり、グリニッジ・ヴィレッジでキャブを降りた。











同じくミッドタウン  9:30 p.m.

ミシェルが指定したバーで彼女は今、少しだけ緊張しながらカクテルを飲んでいる。
彼の助言に従い、露出の多い服はやめて、一番上のボタンまできっちりと閉めた白いジョーゼットのブラウスに、去年ミュウミュウで買った赤いハイウエストのタイト・スカートを合わせた。
その代わり、清楚な白いブラウスからは黒いブラが透けて見える、というわけだ。ドラマの中ではキャリー・ブラッドショー*がピンクのブラを透けさせていたけれど、ここはオーソドックスに黒にしておいた。
グラスの中にはマラスキーノ・チェリー*ではなく、生のチェリーが沈められている。チェリーが大好きな彼女はそれを摘み上げ、ぱくり、と口に含んだ。
「ベティ?」
「Oh ! 」
突然の声に驚いて種を飲み込んでしまい、彼女はげほげほと咳込みながら席を立った。
「げほっ……え、Excuse me ! 」
「No no no , 僕こそ驚かせてごめん。大丈夫?」
「げほ……Yeah , 大丈夫。 Oh , ベティよ。よろしく」
「ラッセル・チェンバース。よろしく」


ポール・スミスを肌の一部のように軽々と着こなす目の前のラッセルは、ミシェルの言うとおりの、いや、それ以上の男だった。
初対面だということを忘れてしまいそうなほどに弾む会話に、ベティの笑顔は引っ込む暇もない。
なるほど、とびきりの男だ、とミシェルが薦めるだけのことはある。
こんな良い男がどうしてシングル?そんな疑問が突如湧いた。これはマンハッタンの奇跡じゃないの?
彼女は舞い上がっていた気持ちが急速に不安げなものへと変わるのを感じていた。
だって有り得ない!こんな良い男が恋人もなしだなんて!
「――納得いかない」
突然ベティがそんなことを言い出したので、ラッセルが怪訝な顔をして彼女の瞳を覗き込んだ。
「? 何が?」
「どうしてあなたみたいな素敵な人がブラインド・デートなんか?本当にシングルなら女が放っておかない筈よ?」
「それ、そっくりそのまま君に返したいよ。君こそ何故?」
「ミシェルに聞いたでしょ?」
「いや、彼は何も言わないよ」
そう言えば彼のこともミシェルは特に何も言っていなかった。
先入観を持たずに会ったほうがいいだろ?と言って。

「そう言えば……」
「うん?」
「ミシェルとは?長いの?」
「Yeah , えーと、あれは11か12の頃かな。父の仕事の関係でシカゴから転校してきたんだけど、彼と席が隣になってね。以来、付き合いがずっと続いてる」
「本当?」
「ここだけの話……」
「?」
「僕のファースト・キスの相手は彼なんだよ」
「What !?」
ラッセルが笑いながらグラスの酒を口に運ぶ。
「あ、でも僕は正真正銘のストレートだから安心して」
「ふふ、あたしも女の子同士でキスしたことあるから解るわ。興味本位と言うか」
「興味本位も何も、僕の場合、彼に奪われたんだけどね」
「What !?」
「僕のことが好きだったらしいよ」
「!」
ぶはっとベティが大声で噴き出すのにつられ、彼も笑いながらその時のいきさつを彼女に話した。
何てこと!ミシェルったら子供の頃好きだった男をあたしに紹介したってわけ?
酒の所為かどうか判らないけれど、彼女は笑いが止まらなくなってしまった。
「あたしも何度か彼とはキスしたわよ。…と言っても、しつこい男を追い払うのに恋人の振りして貰ったとか、挨拶代わりとか、不意打ちの悪戯とか、まあ色々」
「ははは…さてはおもちゃにされてるんだな、あいつ」
「まあね。彼は女嫌いだけど、あたしたち女にとって彼は天使だから。ほら、小さい子とか可愛くて堪らないものにはキスしたくなるでしょ?そんなふうにとにかく彼が愛しくて……つい、ね」
愛しくて……自分のその言葉に、突然ふっと蘇る夢。

" 愛してる、ベティ "
" あたしも愛してる……ミシェル "

おとといの朝に見た夢の中で交わした愛の言葉。それが蘇った瞬間、彼女の胸がキリリ、と音を立てて軋んだ。
「? どうかしたかい?」
「!」
ラッセルの声にはっと我に返り、彼女は慌てたように顔の上に笑みを貼り付けた。
「でもあなた、優しいのね。ストレートの男がゲイにキスされたら嫌がる人も多いでしょ?それなのに彼との友情を守ったのね」
「あー……もちろん戸惑ったよ。まだ子供だったし。でも……」
「?」
「彼を失うほうが嫌だったから。彼のことは親友として大好きだったしさ」
「いい話ね」
「でもいまだにくだらない幼稚な軽口ばっかり叩き合ってるよ」
「ふふ、ミシェルもあなたの前じゃ男の子のままでいられるんだ」
「そうかもしれない。幼馴染なんて大概そんなものかもしれないけど」
「Yeah……」

彼女の知らない彼を知っているラッセルに対し、何故か強烈な羨望が湧き上がるのを感じる。
いつの間にか彼女は、ミシェルを独り占めしてる気になっていたけれど、彼女の知っている部分なんて、彼のほんの一部にしか過ぎないのだ。
気が付けば互いのことからミシェルのことばかりが話題に上っている。彼女は心の中で舌打ちしたい気持ちでいっぱいだ。
どうして最高の男と過ごしているのに、心に浮かぶのはミシェルのことばかりなわけ?ミシェルのことを話題にして、そこに逃げようとしてる?
――もしかしてラッセルもそうなの?
そう思いついた瞬間、彼女は心の中で盛大な溜め息を吐いた。





―――「送ってくれてありがとう。今夜はとっても楽しかった」
ミシェルのアパートメントのドアの前で、彼らは今、「初デートのお約束」の時間を迎えていた。
初デートの成功と今後の行く末を決める、大切な時間だ。互いに男と女として相手を気に入れば、その証としておやすみのキスをして(場合によってはそのままベッドインまで行くだろう)、何となく駄目だと思ったら、友人としてのキスを頬に重ねてそれで終わる。その場合、「電話するよ」と言って帰った男が本当に電話をかけてくることは殆どないが。
少し緊張した面持ちでベティがラッセルの顔を見上げる。彼の手のひらが彼女の頬を包み、唇が近付いてきてそっと重なった。
「――待って!」
「!」
突然キスの途中で彼の唇を指先で塞ぎ、ベティが申し訳なさそうな顔で首をゆっくりと横に振った。
どうしてだい?そんな顔で見下ろす彼に、彼女は意を決したような顔を向けた。
「……正直に言うわね。このままベッドまで行きたいくらい、あなたのこと気に入ったのは本当よ。この右手を切り落としてやりたいわ。こんなことしてる自分が信じられない」
「じゃあ何故?」
彼の静かな声にベティが解らない、と再び首を横に振る。
「このまま流されてしまうのは……間違ってる気がするの」
「……」
「正直に言って。あなたも何かが違うって思ってる。そうでしょう?」
ベティの問いかけに、参ったな、と言う顔で彼が苦笑した。
やっぱりね。きっと彼もあたしと同じ気持ちなんだ。彼の表情にベティはそう確信した。
「あたしね、馬鹿な恋人と別れたばかりなの。勿論、彼に未練は全くないのよ。ただ、人恋しくて……つまり……」
「セックスしたかっただけ?」
「……ぶっちゃけて言うと……そういうこと」
「なら僕も同じだ」
「!」
「半年前に手痛い失恋をしたんだ。でも……なかなか彼女を忘れられなくて」
「……Oh」
「初めて会った女性と寝ることはしない主義だ。でも君とならそうしてもいいって思えたけど……」
「……けど?」
ラッセルがベティの髪を梳きながら微笑みを向けた。
「ミシェルの時と同じだよ」
「!?」
「とても君が気に入ったよ。だからこんなふうに軽々しい関係になりたくない」
「……あたしも。もし今夜、このままあなたと寝てしまったら、あなたとはそれきりになる気がする」
「それって……また会いたい、って思ってくれたってこと?」
「もちろんよ!」
「……僕たち、いい友達になれるかな」
「Yeah ! ああ、もっと早く出会いたかった。この数年間、無駄にした気分」
「でも今夜、出会えたじゃない」
「ふふっ、そうね」

唇が重なった時、違う、彼じゃない、そう感じた。
彼は恋人にするなら最高の男なんだろうけれど、『あたしにとっての最高の男』 はきっと彼じゃない。そして彼にとっても。
「ねえ」
「うん?」
「今度ミシェルを誘って一緒に飲もうよ」
「Yeah , 是非そうしよう」
「あたし、本当は毒舌家なの。驚かないでね」
「知ってる」
「What ? 」
「ミシェルが言ってた。 『口は悪いけどいい子なんだ』 って」
Ah ! と息を吐いてばつが悪そうに笑うベティにつられ、彼もくすくすと笑っていた。
「僕だって本当はもっと口が悪いんだよ?」
「ふふっ、あたしには勝てっこないわよ」
「じゃあ今度、試してみよう」
「Yeah , ミシェルを餌食にね」

男同士の挨拶みたいに固くハグして、彼らはその日の夜を終わらせた。
ドアを後ろ手に閉め、暫く考え込むようにした後、彼女はミシェルと暮らすこの家を見渡した。

――― 『ほんとうに大切な人はすぐそばにいる』 ―――

その時、突然ふっとレイのあの言葉が浮かんだ。
まさか!そんなはずはない。それだけは有り得ない。彼女は浮かんだレイの言葉を消し去ろうと頭を振った。
彼はまだ帰って来ていなかった。気を利かせてラムカと遅くまで過ごしているのだろう。
すぐにでもラッセルとの素敵な夜を報告したいのに、という思いと、彼が今ここに居なくて良かった、という思いとが彼女の中でせめぎ合っている。

あたし……どうしよう……

瞬きすることも忘れ、部屋の入り口で彼女は呆然と立ち尽くした。