Magnet 20 「 Chai party at the Palace 」












20. 「Chai party at the Palace」 ― 宮殿でお茶会を ― 





愛用のルイ・ヴィトンのメイクアップ・ケースを持つ右の手も誇らしげに、彼はキャブを停めるため、勢いよく左の手を上げた。
赤毛の助手と連れ立って颯爽とキャブに乗り込み、ターバンを頭に巻いた運転手に行き先を告げる。
「パーク・アヴェニュー、71丁目まで―――」



「ラムカ、びっくりするかな?」
「それもそうだけど、『彼』に会えるほうが楽しみー!ふふっ」
クラシカルなエレヴェイターの中で赤毛の助手がはしゃぐ声が響き、彼はやれやれ、と言った顔で隣の助手を見下ろした。
「B、胸元開きすぎ」
「そういう服だもん」
「で?どっちの『彼』目当て?」
「Both ! (どっちも!)」
「Ah……」
彼が呆れて首を振った時に、エレヴェイターが15階に到着した。


「奥様がお帰りになるまで、どうぞこちらでごゆっくりと」
出迎えたメアリーが二人をリヴィング・ルームのソファーに案内した。座ることも躊躇われるほどの高級そうなソファーだ。
堂々とした態度のミシェルとは対照的に、ベティは落ち着かない様子で、あちこちきょろきょろしながら何度も紅茶のカップを口に運んでいる。
「いかにもアッパー・イーストの住人の家、って感じ」
でもあたしの趣味じゃないや、ベティの声にはそんな思いが感じられる。
「髪の毛一本、ううん、まつ毛一本落とせないよね、これじゃ」
「そう思うなら " まばたき " やめれば?」
「ひえー、ラムカって毎日こんな空間で過ごしてるんだ」
「君だってあと5分もすれば慣れるよ」
ミシェルが軽く笑って紅茶をひと口、喉に流し込んだところで、賑やかな声が聞こえて来た。キャサリンの声だ。二人は立ち上がって少し緊張した面持ちで彼女の到着を待った。
「Hi ! お待たせしたわね」
「Hi , キャサリン」
ふたりは続けてキャサリンの頬にキスを重ねた。向こうのほうでは、彼女のアシスタントであるティナ(ミス・ベネット)の姿や、カメラ・バッグを抱えた男やその助手とみられる男、おそらくライターだと思われる女性などが賑やかに話を続けている。
それぞれと挨拶を交わし、早速ミシェルとベティの『仕事』が始まった。
今日のふたりの仕事。それは、雑誌の取材を自宅で受けるキャサリンが、ヘア・メイクとネイルをそれぞれふたりにオーダーしたものだった。ベティにとっては、初めての「出張」というやつだ。
ダイニング・テーブルの椅子に腰掛ける彼女と雑談しながら、ミシェルが彼女の顔にブラシを走らせ、ベティが指先に色を載せる。
彼女らの周りでは、ジェイク、と名乗ったフォトグラファーの男がカメラをセッティングしたり露出のチェックなどをしていて、エマ、と名乗った雑誌のライターはティナと雑談を続けている。
始終リラックスしたムードで、どこからともなく冗談や笑い声が飛び交っていた。



ヘア・メイクとネイルが終わり、ジェイクがまずはデジタル・カメラでテスト撮影を始めた。
「もう少し、唇の色を濃い目に出来る?」
「Sure ! 」
デジタル・カメラをチェックしたエマがミシェルにそうオーダーし、彼がキャサリンのルージュの色を手直しする。
皆であれこれ意見を言い合い、それをかたちにしていく作業を見守るようにベティとティナが話をしていると、子供のはしゃぐ声が聞こえてきたのでそちらに目を向けた。
「ママ!ただいま!」
「お帰り、レイ。さ、皆さんにご挨拶して」
「――ちょっと! どうしてここにいるの!?」
レイとキャサリンの会話を横目に、ラムカがすっとんきょうな声を上げた。
「今日、ママが家で『ざっし』の『しゅざい』をうけるんだって」――レイからそう聞いてはいたけれど、まさかミシェルとベティがそれに参加してるなんて!
昨日ふたりと電話で話したばかりだったのに。さては彼女を驚かそうと秘密にしていたらしい。

「初めまして、レイ。僕はミシェル。よろしくね」
「はじめまして、ミシェル!ママを " へんしん" させたひとだね?」
「ハーイ!また会えたわね、レイ。元気にしてた?」
「うん!君こそげんき?ベティ」
リヴィング・ルームに移動したクルーの邪魔をしないよう、ラムカたちはダイニング・ルームで彼らの様子を覗き見するように時を過ごしていた。
レイと初めて会ったミシェルは早速彼に懐かれ、メイク道具に興味津々のレイを膝の上に載せながら、レイの手にした道具の説明をしている。レイは大きなフェイスブラシを頬にくるくる、と滑らせたり、ビューラーで遊んでみたり、くるくると細かくねじったミシェルの髪の毛を更にねじってみたり。
それを見て笑いながらラムカとベティが立ったままお喋りをしていると、そのうちに飽きたのか、レイがミシェルの膝を降りた。
「ママのところへ行ってくる!」
「邪魔しちゃダメよ、レイ!」
「うん、わかってるー」
リヴィング・ルームのほうへ駆け出すレイを見送ると、入れ替わりのように「Hi , guys ! 」とリヴィング・ルームのほうから声が聞こえた。ショーンの声だ。
思わず、ラムカは友人達の前で、身構えるように背筋を伸ばした。
ダイニング・ルームに入って来た彼に、ラムカを除く二人の視線が一気に向う。
あれ?この間の酔っ払いの男?――ラムカから聞いていた " ショーン " と先日バーで見かけた " ショーン " が同一人物だった偶然に、ミシェルは思わずあっと声を出しそうになった。
どう挨拶しようかと一瞬思案した彼に、むくむく、と悪戯心が湧き上がった瞬間だ。
「Oh」
Hi , guys と言いかけるショーンに、ベティが早速右手を差し出した。
「Hi , ベティよ。あなたがショーンね?よろしく」
「Hi , よろしく、ベティ」
「ラムカからいつもあなたのこと聞い――痛っ!」
「――ショーン、こちらミシェル。ミシェル、こちらショーン」
わき腹を突付かれたベティがちょっと!という顔をするのを無視して、ラムカがミシェルをショーンに紹介すると、ミシェルはゆっくりと優雅な物腰で椅子から立ち上がった。
「Hello , gorgeous !*(ハロー、ゴージャス!)ミシェルよ。ラムカとはキスはしたけど、それ以上はなし。つまり、友達以上恋人未満の仲なの。よろしく」
「……よろしく」
「オネエ言葉」で小首をかしげるミシェルにショーンは一瞬面食らったようだが、先日出会った酔っ払いはどうやらミシェルを全く憶えていないようだ。
ミシェルがこんなことをするのはもちろんわざとだ。ラムカが呆れた顔で彼を見たが、彼は意に介せず、どう?と言わんばかりに眉をくい、と上げた。ベティは笑いを堪えて肩を震わせている。
女友達の前にしつこく誘う男が現れた時、彼は彼女たちのためにキスをしたり恋人の振りをしたりして男を追い払うことがあるのだが、逆に誤解を解くために、ゲイだと解らせようと今みたいにそれらしく振舞うこともある。
それとは別に、ストレートのいい男を前にした時に、からかうようにこうやって反応を楽しむこともある(彼によると、時々バイ・セクシュアルが混じっていることもあるので、決して無駄にはならないそうだ)。
さて、彼が今「オネエ言葉」を使ったのは一体どの理由からか。
いずれにせよ、ラムカがうんざりとした顔でいるのは、ベティとミシェルがふたりとも、わざとらしくうっとりとした顔でショーンを見つめて彼を困らせているからだった。
「……あー……じゃあ、仕事があるんで」
そう言って彼がキッチンに逃げて行くと、早速ベティがラムカを捕まえて小声で耳打ちした。
「Oh my Gosh !! He's soooooo hot !! 」
「……あっそ」
「ふーっ!」
息を吐きながら手のひらでベティが顔を扇ぐ。いちいちわざとらしいんだから。
ああ、と呆れて天井を見上げた彼女がベティとミシェルのほうに視線を戻すと、二人してにやにやしながら目配せをし合っている。
「Wha ?(何よ)」
「あー、何だか喉が渇いちゃったー。ね?ミシェル」
「Yeah , そうだ、マサラ・チャイ*なんか欲しいとこだねー」
ミシェルにウィンクされて嫌だと言える人間がいるだろうか。何と言っても彼は大天使なのだし。
「……仰せの通りに、大天使様」



コンコン、とキッチンの入り口の壁を叩くと、その音にショーンが振り返った。
「入っていい?」
「? もちろん。何で訊くのさ」
「あなたの聖域に邪魔をしに来たから」
「聖域?」
軽く笑う彼につられて彼女も軽い笑みを返す。
「本当に邪魔をしに来たんだけど、いいの?」
「どういうこと?」
「ここにあるスパイス全部、見せてくれない?」


野菜の下処理をする彼の横で、彼女が小さい鍋に紅茶を煮出し始める。シナモンやクローブや何かの良い匂いが漂い始めていた。
「友達以上恋人未満の彼のため?」
「え?」
ああ、と彼女が彼のその言葉に呆れたように笑う。
「さっきはごめんなさい、友達があなたをからかったりして」
「あれってからかってたの?てっきり…」
「?」
「……」
「Wha ? (何よ)」
「……Nothing (別に)」
そこで会話はあえなく終了した。


あれから二週間。相変わらずこんな調子で、ふたりの会話ときたら何の進歩もなく、依然ギクシャクとしたままだ。ラムカの笑顔と、ありがとうやごめんなさい、といった素直な言葉は増えたようだったが、そこから長い会話に発展することはなかった。口を開けば喧嘩になりそうな気がして、互いにそれを回避するために会話自体を避けている、そんな感じの毎日だ。

けれどその日はいつもと少し違う展開を見せ始めようとしていた。スパイスの香りが心までも開かせるのかもしれない。
「……んー、いい匂いだ。気がそっちに行っちゃうよ」
「飲む?結構甘いけど」
「Yeah , thanks 」
ティー・ストレーナーで茶葉やミルクの膜を漉して、インド風にグラスに注いだチャイを彼に差し出す。ふわり、と香るスパイスが彼の鼻腔を優しく刺激した。
「Oh , too sweet ! (甘すぎ!)」
「言ったでしょ?」
「あー、でも美味い!」
「本当?」
「Yeah」
「マサラ・チャイは絶対に甘い方が美味しいの。そうしないとお茶がミルクに負けてしまうから、ぼんやりとした味になっちゃう」
「なるほど」
「どうしても甘いのが嫌なら、ミルクなしで飲んでも美味しいのよ。これも本当はもっとスパイスが効いてるんだけどね。カルダモンがなかったから、香りが弱くて残念」
そう言ってマグカップを二つ手に持ち、彼女がキッチンを出て行く。鍋を覗くと、彼女の分が残されていなかった。どうやら自分がそれを奪ってしまったらしい。
甘いものは苦手な彼だったが、これはいける、そう思った。
飲み干してしまうかしまわないかのうちに彼女が戻ってきて、今度は大きな鍋を取り出した。
リヴィング・ルームで取材をしているクルーやキャサリン親子、メアリーの分までもう一度マサラ・チャイを淹れるのだと言う。
普段自分で料理をしていると判る手付きだった。たとえそれが料理でなくチャイを淹れる、というだけでも、一連の動作を横目で見ていればそれ位のことは判る。
セントラル・パークで言い争ってしまった時、半分冗談で「美味いカレーを食わしてくれ」と彼女に言ったことがあったが、ふっと、本当に食べてみたい、とそう思った。
ただしそれはあくまでも、インド料理という彼のレパートリーにはない領域に対する興味からであって、「彼女の手料理が食べたい」という理由からではない。
だがそれを口にする勇気はない。この間「食わせてくれ」とそう言うと、「絶対に嫌です」と返事が返ってきたし、純粋に料理に対する興味だけだ、と言い訳するのも何だか失礼な気もする。
ごちゃごちゃと頭の中で勝手に言い訳がましいことをこねくり回している間に、出来上がったマサラ・チャイをトレーに載せて彼女がキッチンを出て行く。

ラムカと入れ替わりに、ミシェルが空いたマグカップを手にキッチンへ入って来た。
「Hi 」
「? 」
「さっきはごめん、からかったりして」
「? ああ、いいんだ。面白かったよ」
そうショーンが笑うのにつられ、ミシェルの顔にも笑みが浮かんだ。
まさかここであの日の彼に出会うとは思いもしなかった。ここのところミシェルの心を蝕んでいる男のことを、嫌が上でも思い出してしまう。
「ミゲルと……知り合いなんだね」
彼はつい我慢出来なくて、そう訊いてしまった。
「? ミゲル?ミゲルって……あのミゲル?」
「きっとそのミゲル。ラスト・ネームは知らない。この間、ウエスト・ヴィレッジのバーで会ったこと、憶えてない?」
「? いつのこと?」
「二週間くらい前。君はかなり酔ってて、セクシーなブルネットの女性と一緒だった」
ああ、と漸く腑に落ちた。レイチェル、いや、レベッカと会った夜のことか。
「あー……残念ながら何ひとつ憶えてなくてね。とんだ失態を犯してなかったかな」
「さあ。直ぐに店を出たから。……で、あの後ブルネットの美女とは?上手く行った?」
「あー、それについては訊かないでくれ。飲みすぎ、酩酊、記憶喪失……君にも解るだろ?」
ああ、なるほど、と身に憶えのある顔でミシェルが頷きながら笑っているとラムカがキッチンに戻って来て、怪訝な顔で彼らふたりを交互に見ていた。
「楽しそうね」
「ラムカ、ハニー、美味しいマサラ・チャイをありがとう」
「ん……」
ミシェルがラムカをぎゅうっとハグし、まるで恋人にそうするように頬や髪に甘いキスをして出て行く。
別に特別なことでもなんでもなく、彼らにとっては日常のスキンシップだが、どうやらショーンの目には奇異なものに映ったらしい。
「……」
「Wha ? (何よ)」
「……Nothing (別に)」
その日2度目の、「何よ」「別に」の応酬。
含みを残したような顔で彼が首を傾げるのが気に入らないけれど、また言い争いに発展するのは嫌だったので、何も言わずに彼女はチャイの後片付けを始めた。
「……マジで美味かった」
予想外の彼の言葉に一瞬言葉が出て来ずに、鍋を洗う彼女の手が止まる。
「そう、ありがとう」
「今度……」
「?」
「カルダモンを買っておくよ」
だからまた飲ませて欲しい――彼の言葉にそういうメッセージを感じる。
気に入ってくれたんだ。何だかくすぐったいような気恥ずかしいような妙な気分がしたけど、嬉しかった。
「じゃあ粉じゃなくてホールのものを買ってね」
照れ隠しのようにそう軽く笑う彼女に「Ok , miss Sherry」と彼もつられて軽く笑う。
横に立つ彼の気配が、何となく、以前とは違うように感じられるのは気のせいだろうか。
彼の醸し出すものが以前と違うのか、それとも、そう感じる彼女自身が変わったのか、それとも、互いに何かが変わったのか。
大した内容ではないけれど、彼とこんなふうに会話を続けたのは久し振りな気がする。
それを素直に嬉しいと感じている自分に、彼女は内心穏やかではなかったけれど、少なくとも言い争いをしているよりはずっと気が軽かった。


そろそろレイを連れてこなきゃ―― そう言って彼女がキッチンを出て行く。
その後ろ姿を見送る彼の顔には静かな笑みが浮かんでいた。ミシェルとの会話を彼女に聞かれなくて良かった、と思う自分に慌てたのは何故だろう。
そう言えば、さっきベティが「彼女からいつもあなたのことを聞いている」と言いかけていた。彼女は一体、何を話していたんだろう。
考えるまでもないか。どうせろくなことじゃないんだろ? 少しばかり気に掛かったが、直ぐに彼はふん、と鼻を鳴らすように軽く笑って仕事に戻った。