Magnet 15 「 The quarrel theater 」












15. 「The quarrel theater」 ― (ちょっと大人げない)口げんか劇場 ― 




結局使い切れなかった残りの野菜とイチゴをお土産にもらい、1階で買い物をして、3人はヴィネガー・ストアーを後にした。
ショーンがナディアには内緒だぞ、と言って、セントラルパークまでの道のりをバスに乗って移動したので、レイは大喜びだ。
セントラル・パーク内でバスを降り、彼らはそのままグレート・ローンと呼ばれる芝生広場の周りを何となく歩き続けた。
そのうちに歩道を外れるようにして、緩やかな傾斜の方へと足を進める。そこを上って行くと、「Delacorte Theater(デラコルテ・シアター)」という野外劇場がある。毎年夏になるとその劇場では何かしらのシェイクスピア劇が上映されるのだが、その劇場の前にラムカの大好きな像がある。見つめあい、抱擁を交わすふたり。ロミオとジュリエットだ。
カメラを持ってくれば良かった、と言いながら彼女は携帯電話で彼らを撮影した。まだ芽吹いたばかりの木々が寒々しく、余計に悲しそうなふたりに見えてしまう気がしたけど、それはそれでやっぱり素敵、と彼女の写真コレクションに加えることにした。
そのまま緩い傾斜を上り、頂上付近にある「Belvedere Castle(ベルヴェディア・キャッスル)」という名の古い小さな城を通り、79丁目通りを横切って、「The Ramble(森の中の散歩道)」と呼ばれるエリアを散策した。まだ漸く芽吹いたばかりの木々の中での散歩だったが、レイは途中あちらこちらに出現するリスに大興奮で、つい大声を出して追いかけようとするので、リスたちはビックリして直ぐに逃げてしまい、レイはそれをとても残念がった。


その後、彼らはベンチで休憩することにした。そのうちにレイがうとうとと眠たそうにしていたので、ラムカはレイを膝の上に寝かせてやった。ショーンが上着を脱ぎ、それをレイの体の上にそっと掛ける。向ける眼差しは優しく静かで、でもすぐにそれを誤魔化すみたいに、ふぁーっとあくびなんかしてみたり。
ラムカはここのところ、彼のこういう部分を目にする度に戸惑うようになっていた。出来れば昨日のキッチンでのやり取りの時や、この間のマーケットでの出来事みたいに、こんな人、最悪!とそう思っていたほうが気が楽だ。 本当はこうして一緒に過ごすことは避けたいと思っている。メアリーの視線も痛いし。
けれど、心のどこかで、彼とレイと一緒に過ごす時間を楽しみにし始めている、そんな自分を自覚していた。
何故ならレイがそんな時間を過ごすことを心から楽しんでいる様子だから。それは彼女にとっての喜びでもあった。レイが幸せそうにしていると、自分まで幸せな気持ちになれる気がするから。
だから困っている。

「……レイのやつ、気持ちよさそうだなー。 ふぁぁ……俺もそこで寝たい、シェリー先生」
「! ……残念でした、子供限定です」
「あっそ」
「……膝の上に寝る相手なんて……いくらでもいるくせに」
しまった!と後悔したけれど遅かった。この手の話題を彼とは話したくないのに!
でも彼は、ふん、と鼻で笑ってそっぽを向いただけだ。また彼に子供扱いされたような気がして、彼女は膝の上のレイの寝顔に視線を落とした。
「……Yeah, 確かに俺は女好きに見えるかもな。だけど仕事仲間のお堅い女まで漁るようなことはしないから。安心しろよ」
「!」
思いがけず少し怒ったような彼の声。何だか嫌味な物言いに彼女もカチン、ときて、思わず彼の顔を見返した。
「よく言うわよ。仕事場であんなことしておいて」
「あんなこと?」
しまった!私ったらまた!
「……忘れて。私の勘違いだから」
「Oh , wait ! 昨日のこと言ってるのか?」
「だから忘れてって言ってるの!」
「うーん……」
そう言ってレイが動いたので、彼女は慌てて唇に指先を当てた。
「話をしてただけでそんなふうに思うんだ。君さ、被害妄想の気、ない? それとも、男が憎いレズビアン?」
「はあ!?」
「その愛想の悪さは、よっぽど男で酷い目に遭ったとしか思えない」
「! 随分と飛躍した勝手な妄想をどうも!仮にそうだとして、レズビアンのどこがいけないの?」
「いけないなんてひとことも言ってないだろ?むきになるなよ」
「あなたこそ!」
「……ちょっと待てよ。何で俺たち喧嘩してんだよ?」
「……そう言えば……」
あなたが意地悪言うからじゃない。 意地悪なんか言ったっけ? ……お堅い女とか被害妄想とか。 俺、そんな酷いこと言った?  はぁ!?発言にはちゃんと責任持ってくれない!?  君こそ意地の悪いこと言ったろ?
片方が責めると片方はいい加減に言い逃れ、むきになってまた責め立てる。まるで子供の言い争いだ。
ついさっきまで楽しく過ごしていたのに。何でこんなことになっちゃうの?
彼女は再びレイの寝顔に視線を落とした。……そうか。レイが間に居てくれないと、私たち、相性最悪なのかも。


「……ごめん」
「!」
「酷いこと言って。 大人げなかったよ」
「……」
「レイのやつ、あまりにも気持ち良さそうに寝てるから……ちょっと妬けた」
「!」
「だけど別に、女の膝の上なんて興味ないよ。それをさ……」

そうぶっきらぼうに言って、彼がまたそっぽを向く。まるで拗ねた子供みたいに。
ああ、まただ――― 彼女が「その気持ち」に戸惑う瞬間だ。こんな気持ちになるくらいなら、喧嘩していたほうがずっとましだと思う。
でも彼にだけごめん、と言わせるのはやっぱり気が咎めたので、彼女は彼に向き直った。
「私こそ大人げなかった。 ごめんなさい」
「……」
「……」
「……ふっ」
突然可笑しそうに噴き出して、彼がやれやれ、というふうに首を横に振った。
「?」
「何でもない」
「! 何なの? 」
「何でもないって」
「ずるいわよ、そういうの。気になるじゃない」
「だから本当に何でもないんだよ。ただ可笑しくなっちゃってさ。俺たち一体、何やってんだろうな」
「……何って……子守でしょ?」

じゃあ俺、明日から 『 Manny(マニー)*』 として別に給料貰うかな。 あ、人の仕事、奪わないでくれる? じゃあ交代しようよ。美味いカレー食わして。  絶対に嫌です。  ちぇっ!
気が付くと、膝の上のレイが口に手を当ててクスクス、と笑っていた。
こいつめ、聞いてたな。 ふふふ、ショーンってやきもちやきだね、シェリー。 ええ?
ショーンはベンチから立ち上がると、また朝みたいにレイを捕まえて担ぎ上げては落っことそうとしたりして、芝生の上でレイとじゃれ始めた。笑いながらふたりを眺めていると、心の中にまた「その気持ち」がこみ上げるのを感じ、彼女は慌てて彼らから視線を外した。
私……一体どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。
自分の言動すら理解出来ず、戸惑いは増すばかりだ。そもそも、どうしてこんふうに憎まれ口ばかり叩いてしまうのか解らない。
思いもよらない彼の反撃もきつかった。お堅い女だなんて酷い。結構傷付いたんだから!







3:35 p.m.

少し気温が下がってきたので、ユニオン・スクエアはまた今度にしよう、ということになり、71丁目のクリフォード家まで歩いて帰ることにした。南に3ブロックほど歩き、東に2ブロック歩いてパーク・アヴェニューに辿り着く。徒歩でセントラル・パークに行き来出来るなんて羨ましい、と思う瞬間だ。
それから15階のクリフォード家に帰り着くと、早速ナディアが手を洗わせるためにレイをバスルームに連れて行った。
ラムカはヴィネガー・ストアーで買ってきたものを冷蔵庫に入れるためにキッチンに行こうとして、ダイニング・ルームの入り口で立ち止まってしまった。見知らぬ男がそこに座っていたからだ。
「フィル!」
「!」
「ああ、ショーン。お前今日休みなのに出てきてくれたんだって?」
「あー……まあ」
君は?一瞬そう言いたげな顔を向けたあと、ああ、と思い出したように立ち上がり、フィリップがラムカへと右手を差し出した。
「フィリップだ。 君がシェリーだね?」
うわ……すっごいハンサム!
「は、はい、初めまして、ミスター・クリフォード。シェリル・テイラーです」
「よろしく。いつもレイが君の話ばかりしているよ。とても優しくて綺麗で素敵な先生だって」
「あー……ありがとうございます。でもそれ、褒め過ぎです。やめて下さい」
「息子は嘘は言わない子だよ」
「……Oh」
フィリップが眩暈のしそうな笑顔を彼女に向ける。
こそばゆそうな顔でぽりぽりと耳をかくショーンを横目に、ラムカは漸く会えたレイの父親にうっとりと見とれていた。
こんなに美しい男の人を見たのは多分、生まれて初めて!そう思った。ミシェルもハンサムだし、プロムの相手だったハイスクール時代のボーイフレンドも結構なハンサムさんだったけど、比べ物にならないって言うか、人としてのレベルを遥かに超越してる!
「あー、シェリー先生、ミスター・クリフォードが困ってますけど」
「Oh ! Ah……Excuse me ! 」
真っ赤になって握手をほどき、ラムカはひとりそそくさとキッチンに逃げ込んだ。
「……あーあ。またお前の毒網に蝶が掛かった。可哀想に」
「ふん、お前にだけは言われたくない」
「――ダディー!」
ふたりが立ち話をしていると、バスルームからレイが走ってきて父親の懐に飛び込んだ。
「どうしたの!?ダディ!今日は早かったんだね!」
「ああ、今日はもうさっさと切り上げて帰ってきたよ」
「ダディ、きょう僕ね、いーっぱいやさいを食べたんだよ!」
「本当か?レイ。ママが聞いたら喜ぶぞ」

ショーンは軽く笑いながらふたりの様子を見ていたが、すっとその場を離れてキッチンへと彼女の後を追った。
キッチン入り口の壁をこんこん、と叩くと、水を飲んでいたラムカが驚いて、げほげほっ、とむせている。
「君って結構、わかりやすいタイプだね」
「何が」
「ま、いいけど」
「?」
冷蔵庫を開けてペリエを見つけた彼がキャップを捻り、ごくごく、と喉を鳴らす。
「!」
言い返そうとして、ふと何気なく下から見上げた彼の喉のあたり。ちょうど音を立ててごくごく、と動いていたその横のあたりに、彼女は赤黒い小さな痕を見つけてしまった。
その瞬間、彼女の胸が音を立てて揺れた。まさか彼に聞こえたはずもないだろうけど、彼女は慌てたようにもうひとくち水を飲み込み、少し零れた水滴を手の甲で拭った。
子供じゃあるまいし、今どきそんなhickey(キスマーク)ごときで動揺するなんて馬鹿みたい。


「ショーン」
「あ?」
「?」
振り返ると、キッチン入り口にフィリップが立っていた。
「今日は世話になったな。ありがとう」
「いいって。一応、これも仕事の一環のつもりだから。ほら、野菜食べて欲しいしさ」
「そうか……これからも時々こうやって相手してやってくれないか」
「ああ、喜んで」
「シェリー、君も今日はもういいよ」
「Oh」
「早く帰って来れた時くらい、相手してやりたいんだ」
「そうですね。そのほうがレイも喜ぶと思います」
「じゃあな、ショーン。また……」
「ああ」
ショーンと握手をしたあと、ラムカにじゃあ、と目配せをしてフィリップがキッチンを出て行く。
「……素敵……」
ぽーっとした顔でフィリップを見送るラムカに、やれやれ、という顔をして、ショーンは残りのぺリエを飲み干し、がちゃん、と音を立ててゴミ箱に空瓶を投げ入れた。
乱暴な人ね。そんな顔でラムカが呆れたように彼の顔を見上げる。対して彼は、そりゃどうも、と言うような顔を向け、すぐにまた怒ったような顔をしてそっぽを向いた。そんな彼の態度に、また彼女はカチン、となる。
一触即発。何でこうなってしまうのか訳がさっぱり解らないが、今日のふたりは何故だか互いに好戦的になっていた。
……まさか……公園の時みたいに、妬いた?
一瞬、そういう考えが彼女の頭を過ったが、彼女は即座にぶんぶん、と頭を横に振った。
何考えてるの!?有り得ない!絶対に!
「……じゃあ」
そう言ってラムカが逃げるように彼へと背を向ける。彼の瞳の端っこに映り込む彼女の後ろ姿。
彼女の残した気配と気まずい空気と共に全てが消え、彼はシンクにもたれて息を吐いた。
俺は一体どうしちまったんだ。胸の裡がもやもやと燻るように煙たくて、どうにもこうにもスッキリとしない。
こんな面倒臭い感情はまっぴらなのに。くそっ!


レイとフィリップに別れを告げ、彼は苛々とした気持ちを抱え込みながらエレヴェイターの到着を待っていた。
漸く15階に戻って来たエレヴェイターの扉が開き、顔を上げる。そこには、彼に背を向け、先に帰った筈の彼女が、彼と同じように目を見開いて立っていた。
忘れ物。そう言って彼女がエレヴェイターを降りる。入れ替わりにそこに乗り込み、扉の方へ、つまり、彼女の方へと向き直る彼に彼女が振り返った。
どうぞ、行って――― そんな顔で。



彼女はうっかり冷蔵庫に入れ忘れていた食材をバッグに仕舞い、もう一度レイとフィリップにさよなら、と言って、やって来たエレヴェイターに乗り込んだ。
いつもなら、あっという間に1階に到着するはずのエレヴェイターなのに、どういう訳か今は恐ろしく長い時間に感じられる。
漸く1階に到着したエレヴェイターの扉がゆっくりと開く。彼女はいつも通りに螺旋階段の横を通り、ドアマンの立っている入り口へと足を進めた。
お気をつけて、ミス・テイラー。ありがとう。さよなら、ミスター・ジェンキンス。いつものように笑顔で挨拶を交わし、真っ直ぐに前を向いた彼女を待ち受けていたのは―――




「Hi 」
「……Hi 」
「……家まで送るよ」
「!」
「今日は何だか……随分と君に酷い態度をとってしまったからさ。そのお詫び」
「……お詫び?」
「Yeah」
「でも……」
バイクを見て彼女が不安そうな顔を向ける。
「大丈夫。ちゃんと安全運転で行くからさ」
彼はそう笑うと、手にしていたヘルメットを彼女へと手渡した。
「寒くなるからジャケットの前はきちんと閉めて。あと、マフラーはもっと短くなるまで首にしっかりと巻き付けて。うっかりバイクに巻き込むと、首を絞めて危ないから」
「……はい」
「それから大事なことだけど、どんなに怖くても、カーブで俺が体を傾けたら、出来るだけ君も俺に合わせて同じように体を傾けて。俺が体を右に傾けてるのに左に傾けたりしないで。心配しなくても、絶対に転んだり落ちたりしないから。俺を信じて」
「……はい」
身振り手振りで説明する彼に、素直に返事を返す。これじゃあ、お詫びというより罰ゲームじゃない?と内心では思ったけど、何故か断ることも出来ず、彼女は気が付けば彼のバイクの後ろにまたがっていた。
「しっかり掴まってて」
そう言って彼が彼女の手を自分の腰のあたりにぎゅっと巻き付ける。 その瞬間、彼女の心拍数は一気に上昇した。
それは初めてのタンデム*への恐怖心からか、それとも――

Trust me(俺を信じて)――振り返り、もう一度彼女にそう言って、彼はゆっくりとバイクをスタートさせた。